冨士塚とは富士山に行くことが難しい人達のために作られた、富士山を模した塚です。江戸時代中期多くの冨士塚が作られましたが、当社の冨士塚もその一つで、寛政元年(1789年)の築造と言われています。大正12年(1923年)の関東大震災後に修復されていますが、旧態をよくとどめ、都内に現存するものでは最も古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた冨士信仰の在り方を理解する上で貴重な遺構です。この冨士塚は円墳形に土を盛り上げて作られており、富士山の溶岩は頂上近くに配置されています。山腹には要所要所に丸石を配置し、土が露出している部分には、クマザサが植えられています。頂上には奥宮を安置し、山裾の向かって左側に御影石の里宮の建物があります。頂上に至る登山道は、自然石を用いて階段としています。七合目には洞窟が作られ、その中には身祿像が安置されています。塚の前面には冨士塚を築造した際に、土を採掘した凹地を利用して造られた池もあります。円墳状の盛り土と前方の池という形は、江戸築造の冨士塚の基本様式となっています。
冨士塚登拝について
冨士塚はいつでも登拝することができます。ただし祭典、清掃や剪定作業、5月に行われる薪能などの時は閉鎖することがございます。また、夜間は暗く危険ですので、なるべく日中の明るい時間帯にお越し下さい。
冨士浅間神社例祭
当社では毎年6月3日に冨士浅間神社例祭を行っております。冨士塚の前で祭典を行い、その後神職と参加者で冨士塚を登拝します。その様子はこちら